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スタンディング・ベア判決:アメリカ先住民は「人間」か?

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スタンディング・ベア判決:アメリカ先住民は「人間」か?
Standing Bear

アメリカ合衆国政府と先住民の衝突

今回の記事の内容はアメリカン・インディアンが「人間」であるかどうかが争点となった歴史的な裁判についてです。

事件の発端はアメリカ建国以前まで遡ります。ヨーロッパ(主にイギリス)から移住してきた白人が移住してきて、ときに先住民と戦い、条約を結んで境界を引きながら暮らしてきました。アメリカは他の多くの国と異なり国土が拡大していった国です。当初は東海岸のみだったのが、人口の増加・農地の拡大を受けてどんどん西に広がります。

こうした中で先住民はどんどん西に追いやられます。アメリカは当初スペイン植民地やフランス植民地と接し、後にスペインから独立したメキシコが現在のテキサス州を含む大きな地域を領土としていたこともあり、先住民を緩衝帯として国境に「インディアン居住地」を設定し、先住民を送り込みます。

 

ポンカ族とスタンディング・ベア

ポンカ族は現在のネブラスカ州地域に住んでいた先住民部族です。彼らは土地と深い文化的な結びつきをもち、「聖地」に死んだものを埋葬する習慣を持っていました。1877年の1月のある日、突然にポンカ族のキャンプ地にワシントンDCから役人がやってきていきなり約600マイル南にオクラホマ州に移住するように命令をしました。

当時の族長はスタンディング・ベアという人物で、彼は白人との共存の道を模索していた人でした。スタンディング・ベアはもちろんこの意味不明な命令を拒否します。すると、アメリカ政府は騎兵隊を動員し、部族への食料や水などの物資の流通を妨害します。数ヶ月の抵抗や嘆願のあと、彼らはついに移住を余儀なくされます。

移動は非常な困難を伴い、開始してから三日目にはホワイト・バッファローと名付けられた生後数ヶ月の子供が亡くなります。その後も数人を失いながらも7月にはオクラホマ州の居住地にたどり着き、そこに放り出されます。住居も農地も食料もない状態で生活を始めます。

彼らの新しい居住地の気候は住み慣れたネブラスカとは非常に異なり、暑くてじめじめした気候で、マラリアを媒介する蚊が大量に発生していました。オクラホマについて最初の1年間で部族の3分の1が死亡しました。

1年半後に、スタンディング・ベアの最愛の息子、ベア・シールドもマラリアに罹患しました。スタンディング・ベアは、部族の生存のためには白人との共存が不可欠であると認識し、次期族長の息子を学校に通わせて英語を学ばせ、キリスト教会に通わせて白人の宗教を学ばせ、ポンカ族と合衆国政府との架け橋になることを期待していました。

ベア・シールドは見慣れない地で、16歳で病死します。彼は息をひきとる前に遺言として遺体をポンカ族の聖地に埋めるように頼みました。

スタンディング・ベアは息子の遺言を叶えることを決意し、他の部族のメンバーとともに息子の遺体を600マイル離れたネブラスカまで運びます。しかし、聖地に着く直前に、スタンディング・ベアがインディアン居住地を離れたとの情報を掴んだ合衆国政府が送り込んだ騎兵隊によって彼らは逮捕されます。

 

ジョージ・クルック准将

スタンディング・ベア一行を逮捕した騎兵隊隊長は、ジョージ・クルック准将でした。准将の役割は彼らをオクラホマまで送り返すことでした。しかし、クルック准将は疲れ果て、まともに歩くこともできないポンカ族、凍傷で皮膚が剥がれているポンカ族をみて、良心の呵責を感じます。そして、直ちに送り返すのではなく、上官のフィリップ・シェリダンに電報をうち、どうすればいいか質問します。

クルック准将の上官のシェリダン将軍は、「良いインディアンは死んだインディアンだけだ」という発言で知られる人で、直ちにポンカ族を送り返すように命令します。

しかし、クルック准将はどうしてもその気になれません。ついに、彼はネブラスカ州のオマハ・ワールド・ヘラルドという新聞の事務所を訪ね、編集長のトーマス・ヘンリー・ティブルスに、ポンカ族が置かれている窮状を説明し、記事を書くように頼みます。

ティブルスはスタンディング・ベアとインタビューを行い、連邦政府が息子の遺言を実行しようとしている人を妨害しているという記事を書きます。この事件は全国的な注目を集めます。

ネブラスカ州オマハの高名な弁護士、アンドリュー・ジャクソン・ポップルトンもこの事件に注目した一人でした。クルック准将はポップルトンに相談しに行きます。ポップルトンは、「ヘイビアス・コープスの訴えをしてはどうか」と助言します。これは、彼の身柄が不当に拘束されたという訴えです。

ポップルトンと同僚のジョン・ウェブスターは、無報酬でスタンディング・ベアの弁護士になることに同意します。ヘイビアス・コープスの訴えをするには、連邦判事に訴えを出さなければなりません。当時のネブラスカ州唯一の連邦判事は、インディアン嫌いで知られるエルマー・ダンディー判事でした。

 

裁判

こうして、1879年にアメリカン・インディアンに身体の自由を要求する法的権利があるかを決定するための裁判が始まります。裁判を傍聴したティブルスによると、法律家、オマハ市民、そしてインディアンが裁判所に溢れかえっていました。

被告側主張

原告はスタンディング・ベア、被告はジョージ・クルック准将です。被告は実質的にはアメリカ合衆国政府ですが、裁判ではスタンディング・ベアを逮捕した部隊の隊長のクルックになります。

合衆国政府とクルックを代表する被告側弁護士の主張は、20年前のドレッド・スコット対サンフォード判決を根拠としていました。

ドレッド・スコット判決とも呼ばれますが、これは過去に奴隷であった経験があろうとなかろうと、黒人は市民とは認められず、合衆国憲法において市民に与えられる権利は与えられないということでした。

被告側弁護士はこ最の高裁判決を引用し、黒人に法的権利が認められないのであれば、インディアンだって連邦裁判所に訴えを出す権利はないという点に集約されました

原告側主張

一方、原告側弁護士のポップルトンとウェブスターの主張は、法律には「すべての人」はヘイビアス・コープスの訴えを出す権利があると書いてある。つまり、この裁判の争点は、スタンディング・ベアが「人」であるかどうかという点に尽きる、というものでした。

スタンディング・ベアの発言

裁判も終わりに近づく中、ダンディー判事はスタンディング・ベアに発言を許可します。この時点で、インディアンの声を聞いたことはあるのは数人の軍人やインタビューをしたティブルスだけで、多くの人にとっては初めてインディアンの声を聞く機会でした。

スタンディング・ベアは立ち上がり、右手を上げてしばらく沈黙を保ちます。そしてついに、口を開きました。

「この手の色は、あなたの手の色とは違います。しかし、この手を刺せば私は痛みを感じ、あなたの血と同じ色の血が流れます。神が私を作りました。私は人間です。私はいかなる罪も犯していません。もしそうなら、ここに立っていなかったでしょう。」

スタンディング・ベアは窓を眺めて自分のいる状況を例え話にして話し始めました。

「私は増水する川の岸辺に立っています。娘が私にしがみついて、『助けて』と言っています。私の後ろには崖があり、小道が見えます。しかし、いかなるインディアンもその道を歩いたことはありません。私には頼れる先例はありません。道を見ると、微かな光が見えます。私は娘の手を引き、妻とともに崖を登ります。鋭い岩が我々の足を傷つけ、歩いた後には血が残ります。しばらく歩くと、緑の原っぱが見えます。ニオブララの川が、私の先祖の墓があります。命と、自由が見えます。」

彼は再び沈黙し、判事を見て悲痛の表情で再び話し始めました。

「しかし、私の前には一人の人がいます。彼の後ろには木についた葉のようにたくさんの兵士がいます。彼が通ることを許可してくれたら、私は自由と命を手に入れることができます。もし彼が拒否すれば、溺れ死ぬしかありません。」

彼は声を落とし、判事にこう言いました:「あなたが、その人です」

裁判所は沈黙し、ダンディー判事の目には涙が浮かんでいます。原告席のクルック准将は俯いて顔を手に埋めました。 その日はそれで閉廷し、10日後にダンディード判事はスタンディング・ベアは法のもとでの「人間」だという判決を下しました。

アメリカ先住民が「市民」として認められたのはそれから40年以上後、1924年のインディアン市民法が成立してからのことでした。すべての州で投票できるようになったのは1960年代のことです。

 


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