ジョージ・フロイド
George Floyd (ジョージ ・フロイド)は47歳の黒人男性でした。彼はヒューストンで生まれ育ちました。6フィート6インチ(198cm)と大柄で 10代の頃は高校のフットボール部でテキサス州で準決勝だったチームのタイトエンドでした。彼は大柄でしたが優しかったため、「優しい巨人」とよく呼ばれました。
高校の頃の彼のクラスメートはフロイドがタッチダウンをしたことをよく覚えています。「物静かでしたが、きれいな心を持っていました」とこの友人は答えました。
しかし、彼は2007年に住居侵入と強盗で逮捕され、2009年に5年間の判決を受けました。
彼は年に出所した後、友人の勧めでミネアポリスに移りました。そこで警備の仕事を見つけました。後に彼はトラックの運転手とビストロでのバウンサーを掛け持ちし、「ビッグ・フロイド」の愛称で呼ばれました。
このビストロのオーナーはフロイドのことを「いつも明るかった」と覚えています。「彼はとても良い態度でした。ダンスが下手でよく人を笑わせました。ラテン音楽が好きだから、ダンスを教えようとしたんだけど、彼の身長が高すぎでできませんでした。彼はいつも私のことを『ボス・マン』と呼びましたが、私はいつも『フロイド、ボス・マンなんて呼ばないでくれ。私は君の友人だよ』と話しました。
彼は出所した後真面目に働いて、人生を取り戻そうとしていましたが、コロナウイルスのパンデミックにより、ミネソタ州で外出が禁止になったため、レストランの仕事を解雇されました。
彼をミネソタに呼んだ友人は彼が短期の仕事を探すのを手伝っていました。「彼は何としてでも前に進もうとしていた」とこの友人は話しました。彼が偽造紙幣を使用したことについて、この友人は「そのようなことをするとは信じられない」と話しました。
5月25日
彼はミネアポリスのアル店で偽造された20ドルでたばこを買おうとしました。この店は警察に通報しました。フロイドは車の中で座っていました。
警察は到着すると、フロイドに手をハンドルにつくように命令しました。警官の一人は銃を抜いていました。フロイドは警官により車から連れ出され、手錠をかけられました。
監視カメラの映像を見ると、フロイドが一切の攻撃的な行動をとらなかったことがわかります。警官が彼をポリスカーに入れようとすると、彼は地面に転がりました。後にフロイドを殺害した警官に対する起訴文によると、フロイドは「閉所恐怖症だ」といって 車に入ろうとしなかったそうです。
新たなポリスカーが到着し、二人の警官が到着しました。デレック・ショーヴィンとトウ・タオです。ショーヴィンは17件、タオは6件、過去に暴力的だったと苦情が入っていました。
ショーヴィンとその他の警官はフロイドの首、身体、足に圧力をかけました。この時点で警官はフロイドの口が切れたと救急車を呼びました。後に、警官は緊急度を上げるように救急車に連絡しました。
しかし、この時点でもショーヴィンはフロイドの首に膝を載せ続けました。フロイドは何度も「息ができない。頼む。膝をどけてくれ。息ができない」と話しました。
警官は、フロイドの首に膝を載せて圧力をかけながら、「なら立ち上がって車に入れ」と言いました。「フロイドはできるならそうするが動けない」と言いました。
フロイドは5分間で16回、「息ができない」と言いました。最後になると意識が混濁したのか、3年前に死んだ母親に助けを求めました。
フロイドが静かになり、動かなくなってもショーヴィンは膝をどけませんでした。ミネアポリス市警の規則によると、首への圧迫は対象が激しく抵抗しているときにしか使えません。
周囲の人が、「動いてないじゃないか。脈を測れ」と話しても警官たちは無視しました。他の警官が、フロイドを横に転がそうかと話しても、ショーヴィンはこのままでいいといいました。
救急隊員が到着してもショーヴィンは膝を載せ続けました。ショーヴィンは救急隊員がどかすように言うまでは膝をどけませんでした。救急車が現場を離れました。
応援の救急隊員が現場に到着しても、警官らはフロイドが乗った救急車について伝えませんでした。一方、救急車ではフロイドは心肺停止状態でした。
彼は近所の病院で死亡が宣告されました。